神戸に避難中の母が昨年末から具合が悪く、
その間、子どもと神戸に行き、
高齢者は環境が変わることが、ストレスだと言います。
関西出身でしたので、
避難して約1年半の間に、だんだんと歩くのが大変になり、
本当によく面倒を見てくださるケアマネージャーや事業所の職員の
今回は、食べ物をのどに詰まらせたことがきっかけです。
よくあることですが、介護の場では、医療行為ができず、
思えば、阪神大震災の3年後には父を看取りました。
一人娘なので、最後はわたしがすべてを引き受けることになると、
母は、
まだまだ母が残したさまざまな物事を整理する仕事が残っています
私たちはまだ福島の家に多くのものを残してきています。
それらの整理にも行かねばならないと思っています。
その時には、なたお世話になります、よろしくお願いします。
母の入院中、
ものすごく嫌な頭痛に悩まされ、
すぐにその毛布を処分しました。
私たちが被曝者であることを思い知らされました。
と、
1月は助成金申請や子ども信州ネットの準備など忙しい時期です。
スタッフには大変迷惑をかけました。ありがとうございます。
陰で助けていただいた皆様にも感謝します。
私が「手をつなぐ3.11信州」や「子ども信州ネット」
当事者がさまざまな家庭の事情を抱えながら、
その状況を一人では乗り越えられなくなること、
だからこそその大変さを理解できる当事者が繋がって助け合えるこ
また、
解決策をともに考え、
当事者の皆さん、
困っている人に気づいたら、まずは声をかけてください。
何もできないときは、何もできないと連絡してください。
困っていることいえずに困っている人がいることを忘れないでくだ
これまでピラミッド的な組織になれた私たちは、
でもそれでは、311前の社会と何ら変わりはありません。
私たちは、その効率化のための犠牲になったのです。
ゆっくりと、すこしずつでもいいから、お互いをおもいやり、
支援者の皆さんの期待に添えないことも多々あろうかと思います。
だからこそ息の長い、よりそった支援が必要なのです。
国策として復興を目指さないと思われている私たちのような避難や
命を守るというあたりまえのことがあとまわしで何が復興なのかわ
支援者の皆様には、
手をつなぐ3.11信州 代表 森永敦子
0 件のコメント:
コメントを投稿